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原発問題にみる日本人の国民性

元衆議院議員 大前 繁雄

  皆さん、おはようございます。伝統ある大阪スポーツマンクラブに招いていただきまして、光栄でございます。今日は涼しくなったんですが、やはり部屋の中に入りますと、それほどでもありません。上着を取ってお話をさせていただきたいと思います。


資料三枚で話を進めます
最初に皆様方にお配りしています資料、3枚ものの説明をさせていただきます。1枚目は今日のお話をさせていただくレジメと言いますか、まとめです。
1番から5番の結びまで。2枚目に資料として今年の9月1日毎日新聞の朝刊の「書評欄」に出ていました宇野賀津子先生の「低線量放射線を超えて」という本の一部抜粋です。非常にいい本ですが、この毎日新聞はどちらかと言えば、原発に対して非常に批判的なんです。その社がこの本の書評を出しているということについて驚いたんですが、その書評と本の一部をコピーをさせてもらいました。
3枚目の紙がこれは平成23年11月、原発の事故のあったあの年ですね。私は昭和17年の生まれで、ここにおられる皆様方とだいたい同じか真ん中ぐらいか、というところなんですが、西宮の老人会に入っておりまして、そこの会に投稿をした記事です。「ほんとうに怖いのは原発、それとも温暖化」というテーマで書いたものを参考までにコピーをさせていただきました。この3枚の資料を見ながらお話を聞いていただければと思います。


10年前は超有名人
最初に自己紹介をさせていただきますが、阪神間の方だったら知っておられるんですが、ここでは私のことを知っているという方、おられないですね。
だけど10年前は、私も超有名人だったんですよ。平成15年の衆議院選挙で、あの有名な土井たか子さんに勝ったからです。当時、北海道へ行っても沖縄へ行っても、私の名前を言っても知らないんですが、「有名な土井たか子さんと、選挙戦をやって勝った大前です」と言ったら「ああ、あなたが、そうですか」と、みんなわかってくれたんです。
ところが土井さんが最近、引っ込んでしまわれたんですね。週刊誌によるとお姉さんと一緒に老老介護生活で、介護しているのはお姉さんのほうらしいんですが。そういうことで出てこられなくなって、皆さん方の中でも「そういえば土井さんていたね」という感じになってきたんですが、それに合わせて、私の知名度も下がってきまして「土井さんに勝った」と言っても、全然、話題にもならないわけです。
私は京都大学の法学部を卒業して、昭和41年、青木建設という建設会社、今は青木あすなろ建設になりましたが、そこへ入りまして、13年間、サラリーマン生活を送りました。
それで昭和54年、県会議員になって、当時は民社党でしたが、3期、その後、無所属で3期、計6期やって、それから西宮の市長選挙に出ました。
この選挙も結構、有名な話で、同じ時期に行われたアメリカ大統領選挙のブッシュ、ゴアの大接戦とよく比較されました。
私の場合、40740票を取ったんですが、相手の人は40768票で、たった28票の差で負けたんです。それで、あのとき関西では、「ああ、可愛そうに」ということで、有名になったんですが(笑)。その敗戦のあと、ぶらぶらしておりましたが、あの西宮市長選挙のときに、自民党の市会議員さんだけが4人ほど応援してくれたんです。


西宮市長選に出たが惜敗
衆議院選挙に出て、土井たか子氏に勝つ

その応援してくれた自民党の市会議員さんが、「国会選挙に出たら、どうや」と奨めてくれました。兵庫七区は、土井さんが相手だから誰も手を挙げないんです。そこで渡りに舟とばかりに「それなら私がやります」と言ってやったんですよ。60を過ぎていたんですが、土井さんも年をとっていたから、目立たなかったんでしょうね。大方の予想に反して、勝ったんですよ。
人生の後半期に入って国会に出られるという、たいへん光栄なことが実現したんです。
国会へ行って何が驚いたかというと、自民党の議員というのが、メチャメチャ猛勉強をするんですね。私は民社党や無所属の県会議員をして、いろいろな役にもつきましたが、ほんとうに形だけで普段はずっと地元で世話活動みたいなことをしていたんです。
だから、どうせ国会へ行っても、本会議や委員会に出席する時以外は議員会館のオフィスで、テレビでも見ながら全国からやってくる陳情団の話を聞いて「わかった、わかった、俺にまかせろ、その代わりパーティー券、これだけ買え」とか、そういう生活をするもんだと思ってたら、何のことはない。上京早々、秘書が「先生、明日7時半に宿舎へ迎えに行きますから」と言ったんです。
「えー、7時半に?何をするの?」と聞いたら「いや部会が始まりますから」と言うんです。部会は自民党本部で行われるんですが、朝8時前になると議員の黒塗りの車が続々と党本部に入ってくるんです。


自民党本部は8階建て
ありとあらゆる部会が開かれる

私の初当選当時、400人近い衆参の自民党議員がいましたが、その殆どがやって来ます。
その自民党本部は8階建てなんですが、その8階建ての建物の各部屋が、学校の教室みたいな感じです。法務から財政、金融、外交、それから国防、環境等々、あらゆる部会が開かれているんです。そこで自分の行きたい部会に行って、資料をもらい説明を受けて、丁々発止の議論をする。それが自民党議員の普段の生活なんです。
皆さんテレビで、時々、部会をやっているシーンを見られますね。あれ、時々やっていると思うでしょう。違うんです。毎日やっているんです。だから自民党というのは、あれだけ落ちても這い上がってくるというのは、こういうことを昭和30年の結党以来、ずっとやっているからです。
朝はちゃんとした幕の内弁当みたいなものが出ます。昼は、カレーです。午前中は、本会議があったり、常任委員会があったりしますが、それが終わったらみんな、党本部に戻ってきてカレーを食べながら部会をやるんです。5時ぐらいまで部会をやっています。
それで全然、政治に素人のような新人議員でも、その部会に2、3年放り込まれると、一人前の政治家になっていくんです。私もそれは一番驚きました。


関西電力の幹部が来る
原発の安全性について

そこで、今日の本題に入ってくるんですが、そういう部会の一つ、環境問題の部会だったと思います。あるときに関西電力の幹部を講師に呼びまして「原発の安全性について」の話を聞きました。「原発は絶対に安全だと言うけれど、本当に絶対安全なのか」と、われわれが聞いたんです。
それに対して、関電の幹部は「例えば、いま部会をやっていますが、この部屋の天井が落ちてくるというような可能性。それは絶対ない、ということは言えないけれど、まず99・999%落ちてこないでしょうと。水爆でも落とさない限りはです。ですから、そういうような安全、それがわれわれが言っている原発の安全なのです」ということを説明したんです。「ああそうか。そこまで安全だったら、よかろう」ということで、われわれも原発については、推進の立場をとっていたわけなんです。
ところが天井が落ちてくるような話が、今回あったわけなんですね。2年半前に福島で。あれ原発事故、原発事故と言いますが、実際は津波事故なんですが、しかし天井が落ちてくるような、そういうような事故になったことは確かなんです。
それで「安全神話」と言われているけど、ダメなときもあるんだなあということで、いまは「原発の安全神話は、完全に崩壊した」というふうに一般には言われております。


原発の安全神話は完全に崩壊?
しかし私は、安全神話は、かろうじて生き残ったと思っているんです。
福島の原発も、無事だった宮城県の女川の原発も、一番、最初にできた古い型式の原発。さらに当時の政権が、こんなことを言うと民主党の支持者の方に怒られるかもわかりませんが、最も対応能力がないと言われた民主党政権だった。そういう中にも拘わらず一人も死んだ人はいないんです。
この間、奈良の高市さんが、ちょろっとそのことを言ったんですが、「原発事故、死者はいない」と。そしたら、これはもう反原発の信者みたいな人が、ワーっと騒いで「何を言っているんだ。15万人も避難をしている。その中で死んだ人もたくさんいるじゃないか」と言ったんです。
しかし、私も阪神大震災で死にかかった者ですが、阪神大震災のときに7000人近い人が、亡くなりましたが、あれには避難中の人は一人も含まれていないんです。避難者の中には高齢者もいるし、病気だったりの人もいるわけで、避難者は、死者に含めない、ということは、これはもう常識なんです。


原発事故に死者は一人もいない
福島でも避難する必要はなかった?

それより、何より、あの15万人の人も、なんで避難したんだと。殆ど避難する必要がなかったのと違うのか。ということが言われているんです。それが資料の2枚目にある毎日新聞の「書評記事」です。
毎日新聞は、朝日新聞ほどでもないですが、非常にきつい反原発の新聞社ですよね。その書評欄に、「低線量放射線を超えて」という宇野賀津子という人の書いた本が出たんです。この本を読みましたら、いま逃げている人、怖い怖いと脅されて逃げている人、本当に気の毒ですね。そういう原発が怖い怖いと脅す人の代表的な人で武田邦彦さんという方。よくテレビにも出てきてしゃべっていますが。あの人の講演も聞いたんですよ。あの人の脅し方というのは、ほんとうにびっくりします。
今回の事故で、細野さんが原発大臣の時、「年間、1ミリ・シーベルト以下になるまで除洗をします」と言っていましたが、当初は、民主党は20ミリ・シーベルトまでOKと言っていたんですよ。それがいま1ミリ・シーベルトまでになってしまって、怖がらす原因になっているんです。
そのことについて武田邦彦さんは、講演で、こう言いました。「20ミリ・シーベルトというのは、どれだけ怖いものか。皆さん分かりますか。レントゲン400回と同じですよ。レントゲン400回を、一年間に浴びるんですよ。」そう言われると、われわれもビックリするじゃないですか。昔は、レントゲンというと、一年に二回か、三回以上受けたら、危ないと言われていたんです。
ですから私も400回もと聞いたとき、それは怖いなと思いました。ところがあとで、私の友人の京大の放射線の専門家に聞いたら、「いやいや大前さん、いまごろのレントゲンというのは、殆ど放射線を出しません」と言ったんです。今のは100回受けようと、200回受けようと、全然、心配ありません。昔のレントゲンというのは、ぽんと一回、受けるだけで怖かったんです。だけど今のレントゲンというのは、実に進歩してきまして、殆ど放射線を出さないそうなんです。
もし、あれをCTと言ったら、一回で、7ミリ・シーベルト。そんなにたくさんの放射線を使うんです。CTを400回とか100回とか言われたら、それはたいへんなことですが。レントゲン400回と言ったって、なにもないです。皆さんだって骨折をして病院に行ったら検査室に連れて行かれて、バババと20枚、30枚、普通に撮るじゃないですか。
だから今のレントゲンの機械というものは、ほんとうに進歩して心配はいらないんですが、しかし、こういう話を聞くと子供さんを持っている親は、ビックリしますよね。
こういう脅かされ方をしたもんですから、随分と沢山の人が福島から逃げて15万人も避難しておられるんです。そのうちの原発周辺の一部を除いて、ほとんどが避難する必要のない人なんです。


宇野賀津子さんの本を読む
福島の放射線量では心配ない

ですから、そういう意味で、私は今回の大震災でも原発の安全神話は、かろうじて生き残ったと申し上げているのです。
だいたい地震というのは、あらかじめ予震波のP波が来まして、それから本震のS波が来るんです。P波が来た段階で、一秒で今の日本の原発は止まるようになっているんです。女川も福島もピシャッと止まっているんです。
ただ福島は津波対策をしていなかったから、ああいうことになったんです。それでも死んだ人もいないし、今後の健康被害もゼロの見通しです。「おまえ偉そうなことを言うやないか」と言われる方もおありだと思いますが。
そこで皆様方にお配りした宇野賀津子さんの本の紹介をさせていただきます。私が線を引いたところだけ読ましてもらいますが。宇野賀津子さんという方は、昭和47年に大阪市立大学の理学部を卒業して、京大の大学院で学んで、現在、京都のルイ・パスツール医学研究センターの生体防御研究室長ということです。
だいたい65歳ぐらいの方で、この本を読んでいると団塊の世代の代表のような人です。だからここにおられる皆さん方に近いような年代の人ですが、コピーしました毎日新聞の書評のところの線を引いたところを読みますと、「健康と免疫の関係を長く研究をしてきたルイ・パスツール医学研究センターの生体防御研究室長を務める著者は、科学的な事実を冷静に見ることの重要性を指摘する。原発の是非論は別にして現状程度の放射線リスクなら心配しすぎて、免疫力が低下するほうが、むしろ気がかりだ。例えば宇宙飛行士の山崎直子さんは、宇宙で、15ミリ・シーベルトの放射線を浴びて、その後、次女を出産した」とあります。
それでも疑問を持つ人には、ぜひ、お読みいただきたいんですが、これもコピーさせて頂いたこの本の75ページ、76ページ、ここにおられる方は団塊世代の人から、ちょっと上ぐらいの人が多いでしょうから、参考までに傍線を引いたところを読みます。「団塊世代の子供たちの時代の大気中放射線量」という見出しで、「私自身、いまの福島の放射線量について、それほど悲観的ではない理由の一つに、私の子供時代の大気中の放射線量を知った点があります。私の子供時代、1965年前後、10年ほどの間に、米ソの核爆発実験が集中しています。大気圏爆発は、米ソだけで434回、他の国も含めると541回もあります。時間当たりで平均した線量は、今の150倍もあったと言われています。皆さんも、よく言われたでしょう。傘をかぶっていかないと毛が抜けるとか。それから一過的な上昇は数万倍のときもあった。このときの被曝は、日本全土に及びました。筆者を含む、まさに60代の団塊世代の子供のころの話です。1960年代の大気中の放射線量のデータを見たとき、今の福島の放射線量で、子供たちが、みんなガンになったり、なんらかの異常が多発することはないと確信できました。実際、1950年から60年代に育った子供の寿命が、とくに短いという、皆さん方の寿命が、とくに短いという報告がありませんので、現在の福島の多くの地域の放射線レベルは、長期的に見てもガンを始めとして、健康に大きく影響をすることは考えにくいです」というふうに、述べておられます。この本が出る前から、私は、こういうことをみんなに言っていたんですが、この本を読んで、ますます自信を持ちました。


もう一つの安全神話
岩手県田老の防潮堤

それで、もう一つの安全神話という三つ目のテーマに移りたいと思います。今回の東日本大震災で、安全神話が崩れたものが、もう一つあったんですよ。
私は先日、兵庫県の土木技士会の視察旅行で、9月11日、12日、東北に行って参りました。なぜこの日に行ったかというと、ちょうど震災2年半の節目だからです。去年は宮城県、今年は岩手県に行ってきました。陸前高田市から釜石、それから大槌町、宮古市。「あまちゃん」で有名な久慈市へは行かなかったんですが、そのすぐ手前の宮古市の田老に行ってきたんです。
この岩手県の田老というのは、レジメに書いてあります通り、今まで、明治29年の明治三陸。それから昭和8年の昭和三陸。それから昭和35年のチリの大地震と、明治以降、大津波に三度、襲われています。
そして明治三陸と昭和三陸、この2回の大地震で、七割から八割の人が、波にさらわれて亡くなっているんですが、その田老の人たちが、昭和8年から「こんなことではいけない。なんとかしよう」ということで、そこに書きました通り、万里の長城といわれた田老の防潮堤をつくったんです。
長さ2433メーター、海面高さ10メーター、絶対に安全だというふうに宣伝したんです。実際に先ほど言ったチリの大津波のときには、ビクともしなかったんです。あのときは5〜6メーターの津波がきたために、他では大きな被害を受けたところがあったんですが、ここの田老だけは、万里の長城のような防潮堤があったからということで、有名になりました。
これが段々、話が高じて、町長も「これはもう絶対に安全だ」ということで、平成15年には、津波防災の町ということを宣言したんです。「ここは津波防災に全力を挙げていますから絶対に大丈夫ですよ」と。そして世界中から視察にも来ているんですよ。
ところが、絶対に大丈夫だという「安全神話」が仇になりまして、今回、福島原発事故で亡くなった人、ゼロなんですが、田老では200人近い方が亡くなってしまったんです。
あんな万里の長城みたいな、ごつい防潮堤があるのに、本当にお気の毒なことになってしまったのです。現地に行って聞いたんですが、絶対に安全だと皆さんが思い込んでしまったのか、今回の地震で、何人かの人が堤防の上に上がって津波を見ていたというんです。そこまで過信していたということです。


原発は、特殊な問題か
政治性、イデオロギー性が強い

ところが、こちらのほうの犠牲は、先ほど言いましたとおりに、非難の声は、殆ど聞かれないんです。
「これまで何回も遇っているから、あるいは今後の反省に」といった言葉しかなくって、田老の、その当時の町長が、ぼろくそに言われたとか、そういうことは、あんまりないんです。
このことから分かるのは、やはり原発という問題は非常に政治性が強いというか、イデオロギー性が強いというか、特殊な問題なんです。
つまり二つの安全神話の、どちらも崩壊して、むしろ福島のほうが、死者ゼロですから、こちらのほうが、よく頑張ったと言われて、いいはずなのに、変な大臣が、1ミリ・シーベルトまで除洗しますというバカなことを言ったり、偏向学者が脅したりしたもんだから、みんな避難してしまって、その避難した人たちが大変な被害を受けていることになっているんです。
この田老のケースと福島のケースと比べて、そこに書きましたように原発の特殊性が如実に示されているんです。そこに日本人の特性みたいなものがあると言いますか、精神主義と言いますか、そういうものが、絡んでいるように思います。


トコトン精神主義に陥りやすい
日本人の欠点にみられる

私は旧海軍出身者が創設した青木建設に13年間勤めていたんですが、そこで「百発百中の砲一門、百発一中の砲百門に匹敵する(百回撃って、一回しか当たらない、へたくそな大砲、百門に匹敵する)」という、旧海軍の訓示を教えられました。「だから、おまえら、鍛えて、鍛えて、鍛えまくれば、絶対に不可能はないんだ。」こんなことを、だいぶわれわれも吹き込まれました。
日本人は、そういう精神主義に、ものすごく陥りやすいところがありまして、例えば食料品の安全基準なんかでも、アメリカの1000倍ぐらい厳しい数値で、牛乳は何ベクレル以下でないとダメだとかやっているんです。
科学的合理主義の精神というものを離れて、トコトン精神主義に走るという日本人の欠点が、今回の事故後の対応に見られるというふうに私は思うんです。
菅直人元・総理大臣、あの人は、今はもうむちゃくちゃな原発ゼロの精神派に変わっていますが、総理大臣になってから、地震発災まで何を言っていたか。原発は、二酸化炭素を出さない、地球環境を汚さない、すばらしいエネルギー。だから、これを電力エネルギーの50%まで持っていくと言っていたんですよ。
ところが、あの事故が起こったとたん、浜岡を停めてしまって。それからストレス・テストとか、なんとか言いまして、全国の原発を全部、止めてしまった。


極端から極端に走る日本人
精神主義で、合理的でない

これが随分と日本の国の被害になっていますよ。アメリカ人だったら、恐らく「大震災の復興をしないといけない。その期間だけでも、仮に原発が危険だったとしても、この間だけでも動かさせてください」と言って、国民にお願いするでしょう。そしたら復興も順調に進むし、毎年、アラブの王様を喜ばす3兆円も4兆円もの高い油を買わなくて済むわけなんです。
それをせずに全部、止めたんです。東電の原発だけが停まると思っていたら、関電もダメ、九州電力もダメ、全国全部、止めてしまったんです。ほんとうに極端から、極端へ、走るんですよ、日本人というのは。
こういう例は、歴史上しばしば見られます。例えば戦時中「敵国語を禁止する。日本は鬼畜米英の言葉をいっさい使うな」と言ったんです。ゴルフは、芝球と言って、野球のアウト、セーフを「ダメ、ヨシ」と日本語にせよと。
それで、あのころの人は、恐らく英語を習っていないはずなんです。学校で英語を教えなかったですから。ところがアメリカは逆で、日本との戦争が始まりそうだというときに、何をしたか。向こうの日系米人、何万人といますから、そのうちの教育レベルの高い人を先生にして、海軍や陸軍を中心に徹底して日本語教育をしたんです。だから戦争中、日本の捕虜を捕まえてきて、訊問出来たり、日本兵が次に何をするかが、わかっていたんです。日本は精神主義なんです。合理的な思考ができないようになる国民なんです。
この点だけは、皆さん方も今後は注意して、世の中のことを見ていくように、子供たちにも指導をしてもらいたいなと思う次第です。


菅さんは原発を止めろという
アメリカは、津波の影響と判断

それでは本日のテーマですが、四番目の「反原発運動に見る日本人の国民性」に入ります。
私が、尊敬していたあるおじいさん、もう7、8年前に亡くなったんですが、94歳で亡くなるまで、うちへ、しょっちゅう来て、よく話をされました。この人は、上海に長いことおられまして、外人とか、日本人の行動をつぶさに見てこられました。その上で、この人が、しみじみと言ったのは、「日本民族というのは、非常に優秀な民族だ。」今でも、そうですよね。世界的にも、技術なんか、すごいと言われますから。非常に優秀な民族だけど、欠点は一つ。極端から極端に走りやすい。それも、特に極端な精神主義に走りやすい。そういう欠点を持っているから「お前さん、注意せなあきませんよ」と。合理的に物事を考えて、出来もしないことを、「いやー精神主義で、頑張れば出来る」というようなことは言わないようにしなければならない。それは、それで大事なんですが、そのトコトン精神主義に陥りやすいという欠点を持っているから、「それは注意しないといけませんよ」ということを教えてくれました。
今の反原発運動を見ていたらそうです。菅さんが、すぐ原発ゼロと、全部、日本の国内の原発を止めました。一方、アメリカ人は何をしていたか。アメリカも原発を、ものすごく使っているんですよ。アメリカは、日本のことを、福島で「下手なことをして」とボロクソに言っていますが、彼らは原発やめるなんて一言も言ってません。
あの事故が起こったときに、何をしたか。もう、あらゆる手段を使って、あの事故原因を追及したんです。アメリカ中の科学者を動員して。結果は、あれは津波対策を怠ったことが原因だということで、それで終わってるみたいですが、絶対にアメリカも原発をやめましょう、ということは言っていません。だから日本がほんとうに50の原発をやめてしまって、アメリカが、130という原発があるらしいですが、それを、さらに増やして、活用したら経済力の格差は、将来、とてつもない差になる可能性があるんですが。そういうふうに、日本人は、合理主義的な思考より精神主義に走りやすいんです。


女性、女系天皇を認めよう
一方、男系じゃないと絶対ダメ

私が国会議員のときに、皇室典範改正問題が起こりました。今の悠仁親王様が、お生まれになる前、次世代の皇室には、だれも男の人は、いなかったんです。あのとき、小泉さんが、女性天皇を認めようという方向で、そうしないと天皇家は、続かないということを考えたときに、絶対に男系男子じゃなかったらダメなんだ、と主張する勢力と大論争になりました。
私は保守系の自民党の議員でありながら、たった一人、彼らといつも、やりあいをしていたんです。私だって、できることなら、ずーっと、今まで男で繋いできたんだから、男系で行きたい。しかし、それが出来ないから、どうしましょうかという議論をしているんでしょう。
昔みたいに側室はいないし、旧宮家を復活させるといっても、国民が「うん」というはずがない。
60年間も臣下に下っていた人を、また、宮家をつくって、戻すと。それは無理な話です。どうしたらいいか?そしたらもう、イギリスとか、オランダがやっている通り、日本でも、女性・女系天皇を認めざるをえないんじゃないかといっているのに「おまえは国賊だ」と言われるんです。私も皇室の存続のために言っているんですよ。できることなら男系でやりたい。だけど無理があるということで主張しているんですが、そんなことは、どうでもいいんだ。要するに男系でなかったらいかんのだ。神武天皇以来、ずーっと男系で来ているんだからと言って、まあ、ずいぶんとやられましたが。今でも結構、強いんですよ。男系でなかったら絶対イカンという議論は。
これも一つの精神主義だと思います。旧宮家で何人か、宮家の復活に対して、その気は、あるらしいんだけど。その人たちがなっても将来、必ず、側室制度がない限りは続かない、これは。そんなことは、考えればわかるのに、男系でなかったらいかんと。
そういうように日本人というのは精神主義に走りやすいという、右も左も、関係なしに、精神主義に走りやすいんだということを認識しておかねばなりません。


日本人の国民性が現れた事件を列挙
それで明治以降の、そういう日本人の国民性が現れた事件を列挙しておきました。

◎1905年、日露講和反対運動
一つは1905年、明治33年頃になります。日露講和反対運動。あのときは、もう、すごかったはずですよ。日露戦争で、かろうじて日本は、満州で陸軍が勝利をおさめ、日本海海戦で、海軍がロシアの海軍をやっつけたんですが、ロシアは、これからというところで、日本は国力がつきかけていたんです。
それでアメリカのルーズベルトに仲介をお願いして、なんとか話をまとめてくれと。ロシアにしたら本気で負けたとは思ってないから、たくさんの賠償をくれないじゃないですか。日本は、その前の日清戦争ではボロ勝ちしたものですから、台湾はもらうは、そこらじゅうのものをもらって。賠償金もものすごくもらったんです。
だから「あんなにもらえるはずなのに弱腰だ」と交渉をまとめた小村寿太郎が帰ってきたときは、石はぶつけられるは、家に火をつけられそうになったとか。日比谷では焼き討ち事件、日比谷公会堂というのは、いつも大集会の場になるんですが、その日比谷公会堂も、日露講和に反対する運動で焼き討ちされました。

◎1940年の三国同盟推進運動
それから1940年の日独伊の三国同盟推進。これが第二次世界大戦でアメリカなどと戦う最大の原因になるのですが、この時は、ドイツでヒットラーが日の出の勢いだったですね。それまで日独伊の防共協定、共産主義に対する共同防衛をやろうという、防共協定はやってたんですが、それを同盟に持っていけと。もう、今と同じで、朝日新聞、毎日新聞とか、大マスコミが先頭に立って、ワアワアやっていたんです。
昭和天皇は困られまして、天皇は若いころにイギリスへ行かれて、ヨーロッパ大陸へも行かれて、随分と学ばれて帰ってこられました。だから昭和天皇は、英米のことをよく知っておられたのです。
それでヒットラーと手を組んだら、戦争になるから、なんとか、これはやめて欲しいと思われたけれど、一方で立憲君主として、やはり天皇というのは、あくまで国民が決めたことについては、最終的には従うという考えをお持ちでした。
ただ、あの終戦のときだけは、内閣が五対五に分かれましたので、昭和天皇が、「こうしなさい」という終戦のご聖断をされましたが、これは例外です。
だから日独伊の三国同盟のときも、これは実現しないように、頑張ってくれと、まわりに言ってたんだけど、結局、結ばれてしまったんです。これが1940年の日独伊の三国同盟の推進という国民運動です。その結果がどうであったかは、皆様よくご存知の通りです。

◎1951年、サンフランシスコ講和条約
それから1951年、昭和26年です。サンフランシスコ講和条約。これの反対運動があったんです。このあたりになると、もう知っておられる方がおありと思います。昭和26年ごろの、あの大反対運動。全面講和か、単独講和か。東大の総長以下、学者とか、マスコミが、戦線を張りまして、全面講和でなかったらいかん。全面講和というのは、ソ連とか、共産主義国家も含めた、すべての国と講和をする。単独講和と言うのは、アメリカとアメリカに近い、いわゆる西側の国と講和を先行する、平和条約を結ぶという話なんですが。
これは皆さん、吉田茂の放映されたテレビ・ドラマなんかでご存知と思いますが、このときに吉田茂は、頑張りまして、アメリカなど西側諸国とだけの講和、単独講和で押し切りましたが、あれがもし、全面講和まで待っていたら、いつのことかわからないし、また、ソ連とか、共産諸国と仲良くしていたら、えらいことになっていたということが最近になってやっと国民も理解したんです。

◎1960年、1970年 日米安保反対運動
それから、その次の国民運動というと、もうこれは、ここにおられる皆さん方が一番、中心的な方々だったと思います。1960年、昭和35年。1970年、昭和45年。日米安保反対ですよ。
国中、ものすごいデモが、渦巻きまして「安保反対、安保反対」と。僕は昭和35年のときは、高校時代だったんですが、樺美智子さんが、亡くなったり、よく覚えております。
あれもしかし、もし、実現してアメリカと敵対していたら、どうなっていたか。恐ろしいことですよ。ソ連の子分みたいになっていたら、どんなことになっていたかです。

◎2011年、原発ゼロ推進
それから現在の2011年、福島の原発事故を、きっかけとする、原発ゼロ推進ですね。平成23年、震災のあった年から、毎週、毎週、数を増やして、官邸前デモとかサヨナラ原発五万人集会。それから日比谷公園では、20万人集会もありました。
どうなることかなと思ったけれど、去年は自民党政権が誕生して、安倍さんが、原発は安全なものから使っていくということを言われましたので、ちょっと静かになったんです。
だけど最近、また、息を吹き返しまして、新聞を見てたら大江健三郎とか、ああいう左翼の人を中心に8000人集会をやったということが出ていました。
先にあげました明治以降の大きな動き、国民運動ですね。日露講和反対、日独伊三国同盟推進、サンフランシスコ単独講和反対。日米安保反対。この中で一つだけ国民運動が成功した例があります。
先ほども言いましたが、日独伊三国同盟というのは運動どおり実現したわけですよ。ヒットラーと日本は、手を組んだんです。それで原発ゼロも、これは私が意識的に書いたんではないですが、「推進」という運動になっています。原発ゼロの推進。三国同盟も推進です。
これまでの国民運動で、その通りになったのは、日独伊三国同盟だけですが、その結果は、惨憺たるものだったということは、皆さん、よくわかっていますね。あれをやったから太平洋戦争に突入していったわけで、ヒットラーと組んでいなかったら恐らく昭和天皇が、なんとか、頑張られたと思います。ですから今回の原発ゼロについても、同じような推進運動になっていますが、これもほんとうに原発をゼロにしてしまえば、日本の国というのは経済的にも、その他の、いろんな問題を含めて大変なことになるなというのが私の考えです。


原発は少しも怖くない
ほんとうに怖いのは温暖化

ところで私は、原発は、少しも怖くないと思うんです。皆さん方の中には、怖いという方がたくさん、いらっしゃると思いますが。
世界で原発事故は、今まで福島を含めまして、大きなのは三つなんです。一つは、1979年のアメリカのスリーマイル島事故。それから1986年の旧ソ連のチェルノブイリ事故。そして今回の福島の2011年の事故。大騒ぎをするんですが、スリーマイル島事故、これは死者ゼロです。やはり、これは現在の福島と同じように死んだ人、いないんです。
これは原発の作業員がテストをしていて、誤って、起こった事件らしいんですが、チェルノブイリも同じらしいんです。安全対策のテストをしていて、それを間違った方向へパンと行って、あのときは、まともに爆発したらしいんです。
広島とか、長崎と同じような、それに近いような爆発をした。それでも、それで直接的に亡くなった人は作業員が約30人です。福島も先ほど言いましたように15万人も避難しているから、大げさに見えていますが、死んだ人はいない。これからも健康被害は、ゼロの見通しです。
ほんとうに怖いのは原発よりも、温暖化だと思います。最近、反原発運動の人で意識的に温暖化なんてなんだと軽視する人があります。先ほど例にあげた、武田邦彦さんなんか「温暖化なんて、そんなもの心配することはいりません」ということを言っていますが、これはまあ反原発を推進するために言っているのだと思います。


「怖いのは原発、それとも温暖化」
西宮老人福祉センター機関紙に投稿

それで西宮老人福祉センター機関紙のコピーを三枚目の資料としてつけましたが、それに私が投稿したんです。
「ほんとうに怖いのは原発、それとも温暖化」。これを書いたきっかけは、アメリカの科学雑誌「サイエンス」というのがあるんです。これは残念ながら日本語版は出ていません。読む人も英語ができるという科学者等に限られるということで、日本語版はないんです。
それで、ある日本の雑誌に「サイエンス」のことが出ていて「孫引きで恐縮ですが、先日、読んだ、ある雑誌に」という、私の原稿の書き出しになっているのです。「サイエンス」は、どういうことを言っているかというと「ほんとうに怖いのは、原発よりも温暖化である。」理由は、放射能というのは、キューリー夫人以来、100年以上の歴史があり、現在、医療にまで活用されているとおり、原子レベルまで科学的に解明されており、安全対応さえ誤らなければ、それほど恐れる必要はない。


温暖化の原因は、CO2の大量排出
世界の定説

これに対して温暖化のほうは、世界中の学者が必死に取り組んでいるが、今にいたるも科学的には、殆ど解明されていないということなんです。
温暖化の主な原因がCO2の大量排出にあるということは、ほぼ世界の定説になりつつあります。これに反論する人もいるんですが、まあ、これは世界の定説になっております。
最近、なぜ集中豪雨や、竜巻が頻発するのか。世界中に異常な熱波や寒波が、襲うのはなぜか、という疑問については、今のところ、まったく科学的に解明されていないそうであります。そういうことで、私は、温暖化のほうが怖いと申し上げているのです。
そこで温暖化のメカニズムを説明させていただくと、温暖化というのはCO2、二酸化炭素ですね、これが、たくさん排出されますと、大気圏の上空にCO2の膜ができるわけなんです。CO2の膜は、上から入ってくる太陽の熱は、通すんですが、それを抜けさせない。まあ布団に入っているみたいなものです。温室効果ガスと言われているとおり、温室を考えてみれば、一番、わかりやすいと思います。温室の屋根のガラス、あのガラスをCO2の膜と考えてもらったらいいんです。上から太陽の熱が入ってきます。温室の中は、太陽の熱で、どんどん暖かくなります。その熱は、外へ出て行かない。それと同じ原理で地球が、段々と温められていく。
ですから、このCO2の排出というものを、できるだけ抑えなければならないということです。京都議定書というものをお聞きでしょう。1990年の水準から6%、2012年までにCO2を減らしましょうということなんですが、日本は、それに向かって、かなり順調に行っていたんです。ところが福島の原発事故で、全部、原発を止めましたから、いま電力会社は、CO2を大量発生させています。火力発電で化石燃料をボンボン焚いているからです。
原発というのは、一切、一切というと語弊があるかもしれませんが、CO2を出しません。自分で熱を出す放射能をエネルギー源としますのでCO2は出さないんです。
それで、いまものすごく日本が排出するCO2は増えてしまっているんです。日本の空のCO2の量が多いから、今年みたいに暑いのかどうか、そこら辺りも学者が全然、まだ解明していないんですよ。


東北の復興には10年と予想
日本人は「復興の天才」

要するに怖いのは、温暖化なんです。私は、この原発が、仮に危ない、と思っている人も、東北の復興が終わるまでは、ぜひ、原発の稼働を認めて欲しいと思っています。東北の復興というのは、私は10年と見ています。
先ほど、岩手県へ行ってきたと言いましたが、私は現地に行って、びっくりしました。ものすごい勢いで、復興が進んでいるんです。
一般に伝えられているのとは逆で、ものすごい勢いで進んでいます。
日本全国の建設会社が集まってきていて、ゼネコンの株が上がるのが無理がないなと思いました。
私は元々、今回、津波も原発事故もあるけれど、10年あれば、完全に復興すると言っていたんですよ。なぜかと言いましたら、日本人というのは、復興の天才なんです。そんなことは、ほんとうか?と言われるかもわかりませんが。


関東大震災の復興から戦後復興まで
皆さん関東大震災ご存知ですか。全部、東京は焼け野原になったんです。13万人が亡くなられました。あの当時の新聞を読みましたら「維新50年の文明、一瞬にして灰塵に帰す。この再興のためには再び50年を要するであろう」と書いてあるんです。当時の毎日新聞やら、読売新聞に書いてあるんです。ところが、なんのことはない。10年たったら、東京は見事に復興しました。
また先の大戦のとき、大阪もやられ、西宮もやられたし、全国が徹底的に破壊されました。
あの大戦のとき、終戦直前ですが、ヤルタというところで、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、中国の蒋介石、ソ連のスターリンが集まって、日本の戦後処理を話し合ったんです。そのときにアメリカのルーズベルト大統領が、なんと言ったか。ルーズベルトは、「日本は、コテンパンにやっつけられたから、復興に70年かかる」と言ったんです。
ところが横からスターリンが、「日本は、すぐ復興する」と言ったんです。スターリンは、恐ろしい天才的な政治家で、日露戦争のときに、日本人を見ていて、直接、見たかどうか知りませんが、よく研究をしているんです。「日本人というのは、飛び抜けたエリートは少ないけれど、平均的な能力が非常に高い国民だ。一つの目的を与えると、あっという間に実現をする国民だ」ということを、よく知っていたんです。


昭和30年代、日本は完全復興する
阪神大震災も5年で復興

その通り昭和30年代前半には、日本は、完全に復興します。昭和35年には戦前の日本の水準を追い越すんです。原爆を落とされた広島、長崎は、もうペンペン草も生えないと言われました。ところが、なんのことはない広島も長崎も昭和35年のころには、見事に復興し、美しい街並みを完成させているんです。
それから阪神大震災、私は直接、受けたんです。当時、私は県会議員でした。そのときに、「これは大変や。復興に10年はかかるで」と、みんなに言われました。ところが、5年たったら、鉄道も道路も、港も、完全に復興して、震災の痕跡も見つからなくなったのは、皆さん、ご存知の通りです。


東京オリンピックの頃には東北も完全復興
それで私は、今回、東北へ行きまして、どこで震災があったのかなという雰囲気に驚いたんです。要するに可能な復旧作業は完全に終わっているんです。道路も、港湾も、復興工事に完全に入っていますし、それは、ものすごい勢いです。一般には、今回の復興に20年かかると言われていますが、私は10年で復興すると確信しています。10年ということは、あと7年半です。
ちょうどオリンピックが、東京で行われるときには、東北は見事に復旧、復興をしていると確信をいたしております。ですから、皆さん方、ぜひ自信を持っていただきたいなと思います。


最後のまとめ
最後にまとめをしたいんですが、この温室効果ガスCO2の排出を防ぐために自然再生循環エネルギー、うちも屋上に太陽光パネルを敷いていますが、そういう開発促進は急ぐべきであると。しかし、その代替ですが、今皆さん、原発の代わりに自然再生エネルギーを使えと言ってるんです。
私は違うんです。原発のエネルギー源となるウランというのは、カナダやオーストラリアにいっぱいありますから100年や200年先まで安定した供給が見込めます。だから原発はそのままにして、火力を減らすために自然エネルギーを使えと言っているのです。
原発はCO2を出さないクリーンエネルギーですので、これは、そのままにしておいて、恐ろしい温暖化の基になる化石燃料を大量に燃やす火力をやめるように努力をしようというのが私の答えなんです。
最後に「稲むらの火研究会」の嘉納毅人さんという方、この方は清酒菊正宗酒造という会社の社長さんですが、この嘉納毅人さんが、この間、あるセミナーで講演されました。その時に頂いた資料を最後に読ませていただいます。
「何億年かけて地球を温暖化の原因の炭酸ガスを地中深くに化石燃料として閉じ込めてきたが、それをわずか200年、300年で、解き放ち、曾孫や曾々孫を苦しめてよいのか。地球温暖化防止のために化石燃料を燃やさず、肥料、日用品、工業製品の原料にのみ使い、みんなの地球を子孫のために、いつまでも守るべきではないか」と。
このお言葉に私は大賛成だということを申し上げまして、つたない話で恐縮でございましたが、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。


※上記の記述は平成25年9月26日に私が大阪スポーツマンクラブで講演した講演録に一部修正、加筆したものであり、文責はすべて、私大前繁雄にあります。


(「第28回四ツ橋大学講座」平成25年9月26日

重い厚労省の責任―障害者郵便制度悪用事件―

前衆議院議員 大前 繁雄

事件のてん末
 世間を騒がせた障害者の郵便制度悪用事件が、さる3月末の大阪高検の上告断念により、最終的な落着をみた。
この事件は、定期刊行物の発行人が障害者団体である場合、きわめて低料金となる障害者用第三種郵便制度を悪用したとして、平成21年大阪地検特捜部が、自称障害者団体「凛の会」(のちに「白山会」に改称)ほか関係者を摘発したものである。
 ご存知の方も多いと思われるので詳細は省略させて頂くが、「凛の会」が厚労省発行の虚偽の障害者団体の証明書を使用。障害者団体の定期刊行物を装って、大手家電メーカーなどのダイレクトメール数千万通が違法に発送され、通常の第三種郵便の料金との差額数十億円を免れたとされる。
 事件の焦点は、使用されたニセの証明書がどのようにして発行されたかであった。この点に関して証明書を実際に作成した厚労省障害保健福祉部の上村係長(当時、以下同じ)と、その発行権限を有していた上司の村木厚子課長(同)が逮捕、起訴されたのである。


不可解な一係長の単独犯罪
 裁判の経過は、途中大阪地検特捜部の担当検事の証拠改ざんが発覚、事件は急展開し、結局、最終的にニセ証明書の発行は上村係長の単独犯罪、上司の村木さんは無罪となったのである。さらに、一審では有罪の判決が出ていた「凛の会」の発起人についても二審で無罪となり、冒頭記した3月末の大阪高検の上告断念で終結したのである。
 しかし、この一連の経過でどうしても腑に落ちないのは、この上村係長の単独犯認定である。
 上村係長は、当初上司の指示と自供していたのを、途中から自分の単独犯行と変更したのであるが、長年、役人世界と関わってきた私には、とうてい理解しがたい。通常、役人というのは外部の者に頼まれて不正を行う場合、金銭の授受(ワイロ)もしくは上司の指示や政治家などの圧力なしに、絶対やらないからである。上村係長は、年度末の多忙でパニック状態に陥ってやってしまったと供述しているが、常識的には全く信じられない。


村木さんのヒロイン化も疑問
 それともう一つ、村木さんの『悲劇の主人公』化についても、私は疑問を持っている。 六年間の国会議員時代を通じて、私は障害者の福祉に格別力を入れて活動していたので、村木さんのことはよく知っている。大変聰明かつ有能な女性で、ご主人の村木太郎氏も同省の幹部であり、将来は厚労省初の女性次官との声もあっただけに、逮捕を聞いた時、大変残念に思った。
 しかし、この事件で最終的に無罪となった村木さんのその後の行動は余り評価できない。検察批判の高まりの中で世論が同情的になり、村木さんを悲劇のヒロインに仕立て上げてしまったのはやむを得ないとしても、その中で本人も安住してしまっているのは、あまり村木さんらしくないと断ぜざるを得ないのである。
 仮に百歩譲って上村係長の単独犯罪であったとしても、そのニセの証明書には村木さんの印鑑が押されていたのである。公務員の上司として、少なくとも監督不行届きのお詫びくらいあってしかるべきと思うのだが、村木さんがそのことについて謝罪されたということは、これまで寡聞にして知らない。


真の被害者は障害者団体
 そして、この事件で忘れられてはならないのは、真の被害者が、日々少ない予算に悩みながら定期刊行物を発行してきた弱小の障害者団体であるということである。
 日本チャリティープレート協会の会長で、全国の障害者団体定期刊行物協会の代表をつとめておられる春田文夫氏は、次のように語っておられる。
  「この事件のお陰で痛くない腹を探られることになった障害者団体に対するダメージは想像以上に大きく、郵便事業会社による検査に余計な事務が増える等の苦情がやたらと来るようになった」(「チャリティープレート新聞」平成24年3月号)
 誰が犯人かはともかくとして、この事件の責任はニセの証明書を発行した厚労省にある。その責を自覚し、新たなより良い制度創設にむけて、厚労省の最大限の尽力を期待したい。


「兵庫県肢体不自由児者父母の会連合会だより」
(平成24年4月発行)掲載

本当に恐いのは原発、それとも温暖化?

大前 繁雄

 東電福島原発事故以来、世論は「脱原発」一色に塗りつぶされた感がある。
 しかし、ふり返ると、3月11日の東日本大震災発災以前、CO2を排出しない原発は、「温暖化ストップ」のエースとして、電源の大黒柱の地位を占めつつあった。政権末期になって、次から次へと脱原発政策を打ち出した菅直人前首相も、ゆくゆくは原発の全電源に占める割合を50%にまで高めるとマニフェストに明記し、原発を日本の有力な輸出産業に育てると宣言していたのである。
 それが、千年に一度といわれる大震災、そしてそれによる福島の原発事故を境に、一転、極悪人にされてしまったのであるが、果してそれで良いのであろうか。
 孫引きで恐縮であるが、先日読んだある雑誌に、米国の有名な科学誌『サイエンス』の記事が紹介されていた。それによると、本当に恐いのは、原発より温暖化であるとのこと。理由は、放射能というのは現在、医療にまで活用されている通り、原子レベルまで科学的に解明されており、安全対応さえ誤まらなければそれほど恐れる必要はない。たとえて言えばフグの毒のようなもので、キチンと調理さえすれば全く恐くないのと同じだそうである。
 これに対して温暖化の方は、世界中の学者が必死に取り組んでいるが、今に至るも科学的にほとんど解明されていないとのことである。温暖化の主な原因がCO2の大量排出にあるということは、ほぼ世界の定説になりつつあるが、これとて絶対とはいえず反論する学者も結構多い。ましてや近年、なぜ集中豪雨や竜巻が頻発するのか、世界中に偏在して異常な熱波や寒波が襲うのはなぜか、といった疑問については、全く科学的に説明できないそうである。
 なるほど、原発事故がひとたび起ると大変な被害をもたらすということは、今回の福島の事故でよく解った。しかし、だからといって原発を止めて、CO2を大量に排出する石炭や石油をボンボン焚いて良いものだろうかと、不安に思うのは私一人ではなかろう。
 先般、国会で再生エネルギー法案が通り、わが国も本格的に風力や太陽光などの自然エネルギー促進に取り組むことになった。
 私は、自然エネルギーの促進にはもちろん大賛成である。しかしその代替は、まずCO2を大量排出する石油、石炭などの火力を極力減らすことが先であってそれらの削減が相当程度進んだあと、減原発、脱原発に進むべきと思うのだが、いかがであろうか。


(「西宮老人福祉センターニュース」2011年11月号投稿文を一部加筆訂正)